つまのかお その瞳にはヒロシマと家族の姿が映っていた
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つまのかお|あらすじ
妻とわたし

平成12年(2000) 広島平和記念資料館を訪れる川本昭人(73才)。妻・キヨ子(74才)と共に、孫が入選した展覧を見に来ていた。原爆の日、手を合わせ祈る妻。
夫が運転する車で、妻はいつものように病院へ向かう。点滴をうける妻。その姿に短編作品『私のなかのヒロシマ』の妻の姿が重なる…
原爆の影

原爆の日に手を合わせ祈る当時47歳の妻・キヨ子。
昭和19年(1945) 女子挺身隊として軍需工場に勤務していたキヨ子は、中学生だった昭人に出会う。
キヨ子は工場で19歳で被爆、家族を失い、それ以来異常な倦怠感に悩ませられる。昭和43年10月、キヨ子は甲状腺がんと宣告され、切除手術をする。

広島市佐伯区八幡。昭人は、父の後を継ぎ、昭和の初めから続く酒造会社を営んでいる。73歳の今は社長業を譲り、週に数回出社することにしている。昭人は、昭和2年(1927)双子として生まれるが、弟は5歳で死亡した。昭和19年学徒動員で軍需工場へ派遣されるが、結核を患い、手術をし8年間の療養生活を送った後昭和28年(1953)、キヨ子と結婚する。
妻と母、そして家族

昭和61年(1986)、長男・耕司とその妻・礼子に、孫の静が生まれ、雛祭りを祝っている。その傍らには昭人の母・ワカノ。寝たきりの状態で、キヨ子が看病している。キヨ子は被爆による倦怠感と虚脱感に日常的に襲われながら、ワカノの介護を続けている。病人が病人を看るようなものだ。しかし、キヨ子も、酸素マスクをして横になることもしばしばだ。

昭和61年6月、長男・耕司に次女・歩が誕生。歯科医の耕司が、故郷の八幡で開業することになり、家族と共に昭人夫婦の裏手に住むことになった。キヨ子は庭仕事をし、ワカノの介護続けている。
次男・康が結婚することになった。『私のなかのヒロシマ』の中の病弱だった康が思い出される。キヨ子は孫に囲まれながら、介護の日々を過ごしている。ワカノの介護も10年を越えた。平成6年(1994)には 次男・康にも、長女・美森が誕生した。
平成8年(1996) ワカノの介護は続く。ワカノは白内障が進み、視力も衰えつつあるようだ。キヨ子は時々ベッドに横になりながらも、介護を続けている。
キヨ子の姉・テツ子がキヨ子の見舞いに広島を訪れた。テツ子も、被爆により、昭和41年甲状腺がんの切除手術を受けているが、73歳(当時)の今なお現役の舞踊家として活動している。テツ子は酸素ボンベをしたキヨ子を見舞う。
原爆詩集「慟哭」が朗読される中、アイロン掛けをするキヨ子は、亡き家族のことを想う。キヨ子の弟・省三は、新妻を残し原爆によって死亡していた。弟の妻だった人からの手紙を読み涙ぐむキヨ子。
母の死

平成8(1996)年4月、ワカノが緊急入院するが、容態は安定している。孫たちも成長した。孫の静と歩のピアノ発表会を見守るキヨ子。
8月、ワカノは退院し自宅に戻り、孫たちとも会話できるようになる。キヨ子は変わらずワカノの世話を続けている。8月下旬、ワカノの容態が急変した。呼びかけても返事がないのだ。ワカノはそのまま入院し、家に戻ることがないまま、9月に永眠。98歳だった。通夜の後、キヨ子は、遺影に手を合わせる。納骨の日。父の遺骨を持つワカノの姿が重なる。亡き父の映像が続き、ワカノの遺骨は家族に見守られながら、墓へと納められる。

キヨ子は胸が苦しいと訴え、酸素ボンベをつけ、ベッドに横になっている。平成9年(1997) 7月広島赤十字原爆病院に向かったキヨ子は、緊急入院することになる。原爆症患者の女性と同室になり、当時の話を聞き、原爆で受けた傷を見せてもらう。退院したキヨ子は、編み物をしながら、ワカノのいなくなった寂しさを語り、昭人に苛立ちをぶつける。「おばあちゃんは心の支えだった…頼りにしてくれた…。あなたは私を素材にして…仕事の肥やしにしているだけ…」ワカノの作ってくれた、ちゃんちゃんこを着てアイロン掛けをするキヨ子。そこに短編作品『お嫁さん頑張る』で二人の嫁のためにちゃんちゃんこを作るワカノの姿が重なる。

キヨ子は定期的に甲状腺がん専門医の診察を受けている。この日の診察では貧血のため輸血をすることになった。
4月、キヨ子の71歳の誕生日に長男、次男の家族が集まり、にぎやかに祝う。キヨ子はワカノの思い出を語る。長男・耕司(42)に歯の診察を受けるキヨ子。そこに重なる『私のなかのヒロシマ』の13歳の耕司。私立中学の合格発表の日だ。孫・静の中学入学の朝。キヨ子は笑顔で送り出す。成長した孫たちとの穏やかな日々が過ぎていく。耕司の長男・大樹も大きくなった。

庭の池の錦鯉が、池に浮いて死んでいた。キヨ子は庭の片隅に穴を掘って埋める。
お盆が近づき準備をするキヨ子。ワカノの思い出を語るキヨ子。ワカノの遺影にいつでも話しかけるのだ、と。自宅で最期を看取れなかったのが心残りだった、と。
エピローグ

平成19年(2007) 1月、孫・歩、成人の日を迎える。
2月、広島赤十字原爆病院での診察。採血をするキヨ子の後ろ姿に、『私のなかのヒロシマ』の倦怠感に苦しむキヨ子の姿が重なる。『私のなかのヒロシマ』を見る、現在のキヨ子。「…一日も早く元気になりたい」とキヨ子は涙を流す。
2008年 / カラー / DVカム / 114分
監督 : 川本昭人  撮影:川本昭人  編集 : 川本昭人、小野瀬幸喜  ナレーター : 岩崎 徹、谷 信子、川本昭人
配給 : 『妻の貌』上映委員会  配給協力 : 東風、KAWASAKIアーツ
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